今日も1日

文をつくる練習。

コミュ障といわれてショックだった。ただそれだけ。

タイトルの通り。

 

最近、会話の話題で就活のことがちょいちょいでてくる。

なんにもしてないけど私も就活生。

 

私が「やばいかなー」とか嘆いてたら

「コミュ障だもんねw」と返された。

 

 

全くもって話すのは得意ではないけど、

「コミュ障」だったとは。

自分が思ってるより重症みたいだ(-_-)

 

うわあああー

 

 

 

コミュニケーションで思い当たることといえば、

 

先日の研究室の自己紹介で、

同級生のA君が好きなものに先生世代にも

わかるようなものを盛り込んでいて関心した件がある。

 

こういうことやるべきなのか?

これもコミュニケーション生み出す一助なのか?

 

とか思ったんだけど、やっぱりよくわからない。

 

 

話やメールでも相手が返しやすいように

考えて喋るのはよさそう。

 

でも計算高くなった感じしてなんか嫌。

 

 

とか思ったりランダリー。

実際メールはなんとかなっても

頭キレないから会話中は無理そう。

 

そこまで無理して会話したくない。

あ、これだから「コミュ障」なのか!

 

 

うあああー

 

 

おやすみなさい。

 

気が付いたら久々の更新

田舎に帰ったり旅行行ったりで

ほぼブログを更新することなく3月が過ぎてしまった

 

 

旅行や帰省は楽しかった一方で

 

なんだーかんだーで悩んだりもした。

 

 

 

 

ただこのひと月で解消とはいかないけど

前進はできたと思う

 

 

先月の記事では部活動で共感者がいないって

うじうじしてたけど、

 

 

それは私が自分のことしか見れてなかっただけだった。

 

 

いっしょにいたり話したりすると、

それはただの思い込みで、

そんな自分や考え方を理解してくれる人たちだっていることに

気づくことができた。

 

 

そういう人たちが周りにいてくれてるなんて

なんと幸せ者であったことか。

(先月の自分は本当によくなかった!)

 

 

 

そういう人たちの期待を裏切らないように

あと半期、私はできるだけ活動を続けていこうと思う。

 

 

 

 

 

また、もう一つ気持ちを整理したい話として

つい先日、自分と比較的近い状況にいた人の退部がある。

 

 

前にも似たような話はでたが、

今回は一部の人しか事前に知らされていなかったので

すこし驚いた。

 

 

 

あまり退部を選んだ理由には詳しく触れず

早々に辞令を伝えてでていった。

 

 

前の人もこんな感じで辞めていったが、

どうもしっくりこない。

 

「大学の部活ということで、選択肢は自由であっていいと思う」

別の話題の時だが、部員の一人が会合中にいった

この言葉は家に着いても耳に残っていた。

 

 

 

確かに、と同意する自分もいる反面で、

育ててもらった恩を自分も次の世代に少しでも還元

したいとか、少しでもできることあるなら協力したいとか

そういう思いがあるならいてほしかった、

と思ったりもする。

 

 

 

自分と近い状況だったから尚更口だしちゃうけど

本人の問題であって、私がぶーたれるのは

間違いなのだろう。

 

 

けど、自分の口でしっかりと伝えることは

せめてものケジメみたいなものなんじゃないのかな。

今日あったいいこと

こんな日こそ、うれしかったことを思い出そ

 

・相手の目を見て接客するようしたら

 応えてくれる、笑顔になってくれる人がたくさんいた

・お昼が豪華だった

・仕事仲間(今日は単発のお仕事)

 がみないい人たちだった

・1年生かわいかった

・2年生とちょっと話せた

・みんな元気だった

・わたしも1日健康だった

・高校の同級生と久々にラインし始めた

弱音を吐いてもいいですか

なんだか気分がダウン~

 

今の今まで部活やめたいって本気で思ったこと

ほぼなかったと思う。

けどね、なんかね、

 

今日は

やめどきなのかなと思ってしまう。

 

 

 

部活ってやっぱり同じ理想とか目標を持つ人たち

の集まりだ思うんだ

 

意見があわずとも、ある一点では同じ、みたいな。

(運動部だったらそのスポーツが好き、楽しい、とかね)

 

 

 

私も一部員としてそこは確かに

みんなと同じなんだけど

今の現役部員で

楽しむ方向性が分かち合える人がいない

 

 

合う人はみんな

今年ででみんな卒部してしまう

 

 

 

さみしいー

私が入部した時はまだこの一派は

生き残ってたんだけどな

時代の流れかしら

 

 

ほんとに入る部活間違えたんじゃないかとも

今更思ったり

 

 

 

 

せめて同学年に女の子がいてくれたら

助け合ったりできるし

ましだったんじゃないか

とか

ないものねだりをしてしまう

(いたところでこの悩みは解決しなさそうだけど)

 

ほんとくよくよしてます今

 

 

この記事書いてて思ったんだけど

私の悩みはなんだろうか?

お風呂入りながら考えよう

女性の品格を読んだ


Amazon.co.jp: 女性の品格 (PHP新書): 坂東 眞理子: 本

 

今更だけど「女性の品格」を読んでみました

 

 

こういった自己啓発本って図書館で借りるには

ちょっとこっ恥ずかしくて

なかなか踏み出せずにいまして(^^;)

 

 

なんといってもも、このタイトル。

いわゆる「意識高い系」

 

レジに持っていくときも

ある程度お上品な感じだしてないと

いけない気がしてしまうんです

(ジャージでファッション誌買えない感覚

 ノミの心臓なんですー…)

 

 

 

 

そんなこんなで、今回は中古でお買い上げです

 

 

 

覚えおきたいと思った部分3つありました。

 

1つめ

「名前を知るといのは自然をいとおしむ一歩です。」(p111)

今思えば遅い中二病みたいなのですが、「人が(頼んでないのに)勝手に名前つけて呼んでるだけだし!花や草木の名前は覚えなくてもよい!」と言い張っていました。でも確かに興味あったら名前も含め相手のこと覚えますよね。名前がなければ「個」として認識するためにいとおしんで呼び名もつけたり。「命名」という言葉の意味、「名をつけて命を吹き込む、認める」に気づかされました。

 

人の名前をとても大事にしてる人に何度か会った経験がありますが、こういうことに由来しているのでしょうか?

 

私もつい人の名前を忘れてしまうことがあるのですが、気を付けていこうと思うのでした。これからは、心の奥底で親しみや「個」としての認識の気持ちを込めて、みんなの名前を呼びたいと思います。あれ、自分がいうと気持ち悪いですね

 

 

 

 

 

 

2つめ

「たまたま今日は日に当たらなくても能力や人格が優れた人、自分を認め親切にしてくれた人には敬意を払い、丁寧に温かく接するべきです。」(p131)

ちょっと伝えたいこととは違うかもしれませんが、「今日は日に当たらなくても」の部分を「今日は不親切だったけど」的な意味でも解釈しました。多少のことはあれども根本はいい人だったら、「丁寧に温かく接するべきです」ね。

 

 

 

 

3つめ

「自分や自分の家族のことは、自分にとってはとても魅力的な話題ですが、自分が思うほどに他人は関心がないことを覚悟しておきましょう。」(p145)

これはついつい自分が家族の話してしまうので、心に刻みたい文でした。自分は少数派で人の家族の話(兄弟のエピソードとか)聞くのも好きですが、大半の人はそうではないんですよね…。家族のこと聞かれたりしても、その多くには「興味ないけど適当に話振ってみっかー」という背景があるを忘れないようにします。

 

 

 

この本の主要部分というよりは、端っこの3点だったかもしれません?

 

読み終えて、全部が全部賛成!という内容ではありませんでしたが、いい文章が他にもたくさんありました。買ってよかったです。

 

この前「世界一受けたい授業」で本に書き込むということをおすすめしていましたが、次はやってみたいですね!

成績発表されてました

 

レポート評価の授業が珍しくいい成績だったので

「どんなレポート書いたっけ?」と

見直してみることに。

 

 

とてもヒドイ文章でした...

自分でも何を言ってるのかわかりません。

もはやこれ誰にも伝わってない(苦笑)

これを教授に見られたかと思うと恥ずかし。

 

 

実体験であったちょっと珍しいことに触れてたので

そこらへんで評価してくれたのか

はたまた飲み会で名前覚えててお情けくれたのか。笑

 

 

頭のいい人の文章はわかりやすい

とはまさにその通り

意識して書いて練習するしかないかー